Taketani satoshi : Improvisation
Taketani satoshi : Improvisation
丁度30年前、それがしには3年ぶりくらいに彼女ができたのでござる。節目ゆえ彼女の話をいたしたく存ずる。
子供のころのそれがしは病弱であり申した。3歳のころにはいわゆる法定伝染病を患い、何か一つが治ればすぐ次の病気を羅患いたし、医師には「このままだと5歳まで生きられない」と言われたそうでござる。さすがにそれがしは覚えがござらぬが。
そのころに患った喘息
いわゆる小児喘息を、完治せぬうちに治ったつもりで治療をやめ申した結果、現在いい歳をしてたびたびの発作に見舞われており申す次第。
で、22歳のある冬、ひっどい発作と相成り、寝返りどころか腕を動かしただけで気管支が刺激され、咳が止まらぬありさまと成るに至り、救急車を呼び緊急搬送されたのでござる。
運ばれた病院でほぼ1か月の療養で退院いたしたが、その病院の看護師の一人が、どこからどう見ても「バンドやってる人」という身なりのそれがしに気軽に話しかけてくれ、自身も「Snow &Rabits」と申すガールズバンドのギタープレイヤーだった優子と申す女性だったのでござる。
優子とはそれがしの退院当日、偶然出入り口で他の患者の車いすを押しているところで会い、退院のあいさつのついでに「いつでもバンドのこととか知らせて」と住所と電話番号をメモして渡し申したところ、4日後には手紙がまいり申した。
そこから形としてはほぼ文通のような感じになり、彼女のバンドの悩みであったり自慢であったりを読ませてもらう代わりにそれがしのバンドの笑える話などを返信。
そのうち「どこそこのラーメン美味い」「どこそこのそば屋は店員が最悪」などと申す話題も多くなり、いつか一緒に参ろうではないかということになるのでござる。
そんなこんなで二人で会う機会も多くなり、ある日に「ソナタとワラワ、どういう関係であろ?恋仲?友人?」と。「それがしは・・・そなたとは恋仲でありたい」と応え、晴れて恋人同士になったのでござる。
それからは例えばお互いに取れる時間が5分しかなければ5分だけでも会い、会えない時には最長5時間の長電話wという毎日でござった。幸せでござった。
その年のそれがしの誕生日、寝ていたらすごくいい匂いで目が覚めたところ、音を立てずに忍び込んだ優子が料理の真っ最中。その日はお互い休みだったので、優子が朝食を作りに来ていたのでござるが、朝食と申すよりもむしろ起き抜けにフルコースwwwさすがに面食らったのをよく覚えてござる。
そんなある日
次の日も遊びに来ると申す優子を見送り、のんきにテレビを見ていたところに電話が。
優子の母上様が「急いで〇〇病院へまかり越せ」
あわてて向かったところ、泣きはらした母上様がおられる。
「何事でござりまするか」
優子は帰宅してから、翌日にそれがしのところに持ってまいる予定であったリプトンのレモンティーを買いに外出、その際に飲酒運転の車が角を曲がり切れず突進、優子は車とブロック塀に挟まれお腹のあたりをつぶされて死んでしまい申した。
お腹から上は全くの無傷。しかしながら顔色はいつもの優子にあらず
その姿を見た時、なぜかそれがしは涙も声も出ず
よく、「声を掛けたら今にも起きて笑ってそうな」と申すが、なぜか死んでいることはしっかりと認識できており、はっきりと分かっているのは「優子はもういなくなる」という現実のみ。
母子家庭だった優子の通夜と葬儀には母上様がそれがしを親族として扱ってくださったもののその席でも涙が出ず、いよいよ火葬という場面で優子の頬を撫でたとたんにほんとに優子の顔が見れなくなると思い泣き崩れ申した。大きい垂れ目もノーメイクだとおてもやんになる頬も記憶の中でしか見れなくなるのでござる。優子が亡くなってから初めて実感したのでござる。
お棺が閉められた時、「優子がやけどしちゃう」と大騒ぎしたそうでござる。
そこから
それがしの頭の中の何かが消え申したのでござる。
その後もいくつか恋はし申したが、まず優子の死後6年後に結婚までした相手は他に男を作り、その次は「実は旦那がいてね」と言われ、その次は「私は浮気相手、あなたはその浮気相手の浮気相手」
その都度恋が終わるときに全くじたばたできなくなったのでござる。
それがしを「好き」という人はみんなそれがしを切って消える。急に敬語になり、感謝の言葉を言ってから消える。
それがしは「またか」
前回が3年前、今年は節目も節目
横浜に墓参りでござる。
俺には高校2年の頃からの親友がいた。そのうちの一人とはここ数年、再び一緒に演奏している。
が、
その親友との友情が壊れかけている。
前に投稿した愛犬のことで。
某SNSでたびたび犬のことを報告し、溺愛ぶりを書いていたが、そのたびに
「うまそうな犬」
「俺が食ってやる」等の返事をしてくる。
おそらく彼は、今まで犬も猫も、鳥も金魚すらも飼ったことないんだろうと思う。生き物を見てかわいいなりなんなり、そんな気持ちは持てても飼い主の気持ちがまったく理解できないんだと思う。
逆に俺は7歳のころから家には犬がいなかった時間のほうが少ない。日本犬とシェパード系のミックス種、アフガン・ハウンド、シェットランド・シープドッグ、ダックスフント、今のチワワ、どれもが長生きした大事な家族だ。あいつにはそういう、犬や猫を家族と思うことが今までなかったんだろう。
単純に「家族を食うぞ」と言われることを想像してほしい。
どれだけむかつくか
親友であっても言っていいことと悪いことぐらいわからない歳でもないはずだ。
どこで犬猫をくってうまいと思ったか知らないが、少なくとも俺の育った環境ではご近所さんも含めて犬を食う文化はなかった。
彼は静岡市清水区の住人だが、そんなに犬を食痛けりゃ興津川の上流の山の奥にでも行けば野犬の一匹や二匹いるだろうからそこで捕まえるかなんかして隠れて食え。
少なくともうちの犬はあいつにに食われるためにウチにいるなんてことは断じてない。
犬を食うとか言う返事が一回だけなら冗談で済ませることもできたが、投稿するたびに書かれたんじゃ堪忍袋の緒も切れる。切れるというより堪忍袋の緒なんぞ引きちぎってやる。
それ以来、彼の言うことや行動の一つ一つを見る俺の目に以前のような寛容さが薄れ、まるで嫌いなやつを見るかのように見てしまう。
親友だったのに。
めったにケージから出してもらえない、全然かわいがってもらってないんだそうでござる。
不憫。
それがしが溺愛してくれよう。

さておのおの方
それがし、とうとう今の仕事を辞し、ついでに引っ越しすることを決意いたしもうしたのでござる。
で、犬も新たに迎えるのでござる。
ロングコートチワワ3歳♂
黒っぽい子でござる。
候補としては
「ロロ」
「ロコ」
「カルビ」
さて、どれがよかろう
かつてのバンド仲間の元カノさんで、自身も優秀なシンガーという友達がいる。
数年前、なかなかの病気をして治療のために行った病院でとある信仰と出会い、そこから事態が好転し、治療は成功したらしい。おめでたいことだ。友人としても一安心。
で、あたくし、今後そこそこの問題を抱える。
そんなあたくしには俺なりの信仰の仕方がある。
むかし離婚した時、近所の寺、由緒ある寺、神社、いろんな宗教的権威にすがり、怒り、屈辱感、喪失感の一刻も早い克服の手助けを願った。
飲み屋をやってた時、一日でも長く店を存続できるように願った。
まだ結婚生活をギリギリ維持してた頃、ぜんそくの発作がしょっちゅう出て、しまいにはうるさいと言われ、ぜんそく平癒を願ったこともあった。
結果、いまだに結婚してた頃の家で裏切られる夢を見て、起きると強烈に気分が悪くなるし、店は10年持たず、ぜんそくは当然治らない。
それでもいまだに生きてはいる。つまり、困難とか試練はあっても結果的に生きてられることこそ信仰の対象による加護であり、感謝すべきところなんだろう。
と思う。
となると、そもそも信仰とは幸運とか奇跡を期待するもんなんかじゃないという結論になる。それはそれでいいと思うし。
だから信仰に対する俺の考え方を否定したり余計な期待をさせようとする人はあくまでも「俺とは考え方が違う人」だ。
で
友人だからおれの今後の困難について話したら、案の定勧誘的なことになった。
彼女いわく、「現実は変わらないけど何かが良い方向に変わる」
「今までの考え方のままでいいけどちょっと変えてみたほうがいい」
その時点で奇跡と否定は受け入れないと話したが、彼女は奇跡を期待しろとは言ってないし、否定もしてないという。
俺の耳と脳みそでは「何言ってんのかわかってんの???」だ。
考え方を替えて奇跡を期待して、例えば幾分気が楽になっても現実は変わらない。
おそらく俺のためを思ってのことだから悪意はないんだろうが、矛盾しすぎた話には耳を貸せない。
長年の友達から距離を置こうと思った瞬間とはこういうものか。
ふ~~~ん
前述のの愚か者、っかっこいいこと言って、っ結局ちゃんとやってこなかった。
もう二度と一緒にやることはあるまい。